ローマ人への手紙3章 イエスを信じる者を義とされる

投稿者: アブラハム・リー on .

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ローマ人への手紙3章 イエスを信じる者を義とされる

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パウロは、ローマの人々に「イエスを信じる者を義とされる」と教えています。ユダヤ人の割礼に益があるのですが、割礼の無いローマ人でも、ユダヤ人と同様に「イエス様を信じる信仰により、義と認められる」ことがこの章のテーマです。

すべての人が罪を犯したと教えています。ここでいう罪というのは、「的外れ」ということで、神様の願われる計画から外れた生き方をすることを意味しています。つまり、自分の人生が神様により与えられ、目的をもって生まれたのにも関わらず、自分勝手な道を歩み各々神様から離れた生活をしていることです。その結果は、「死」です。ここでいう死は、「神様から離れた生き方」のことです。

律法は、人々に自分が罪びとであることを示します。また、律法がない人には、良心により、その人のすべてが判断されます。そして、罪と定まれます。

このように死をま抜けることができなくなっているので、現状です。しかし、良いお知らせは、イエス様を信じる信仰によって、私たちが義と認められ、すべての過ちが赦され、義人として歩むことができるのです。

イエスを信じる者を義とされます。

ゴスペルハウス
アブラハム・リー



Rom 3:1 では、ユダヤ人のすぐれている点は何か。また割礼の益は何か。
Rom 3:2 それは、いろいろの点で数多くある。まず第一に、神の言が彼らにゆだねられたことである。
Rom 3:3 すると、どうなるのか。もし、彼らのうちに不真実の者があったとしたら、その不真実によって、神の真実は無になるであろうか。
Rom 3:4 断じてそうではない。あらゆる人を偽り者としても、神を真実なものとすべきである。それは、「あなたが言葉を述べるときは、義とせられ、あなたがさばきを受けるとき、勝利を得るため」と書いてあるとおりである。
Rom 3:5 しかし、もしわたしたちの不義が、神の義を明らかにするとしたら、なんと言うべきか。怒りを下す神は、不義であると言うのか(これは人間的な言い方ではある)。
Rom 3:6 断じてそうではない。もしそうであったら、神はこの世を、どうさばかれるだろうか。
Rom 3:7 しかし、もし神の真実が、わたしの偽りによりいっそう明らかにされて、神の栄光となるなら、どうして、わたしはなおも罪人としてさばかれるのだろうか。
Rom 3:8 むしろ、「善をきたらせるために、わたしたちは悪をしようではないか」(わたしたちがそう言っていると、ある人々はそしっている)。彼らが罰せられるのは当然である。
Rom 3:9 すると、どうなるのか。わたしたちには何かまさったところがあるのか。絶対にない。ユダヤ人もギリシヤ人も、ことごとく罪の下にあることを、わたしたちはすでに指摘した

Rom 3:10 次のように書いてある、「義人はいない、ひとりもいない
Rom 3:11 悟りのある人はいない、神を求める人はいない
Rom 3:12 すべての人は迷い出て、ことごとく無益なものになっている。善を行う者はいない、ひとりもいない。

Rom 3:13 彼らののどは、開いた墓であり、彼らは、その舌で人を欺き彼らのくちびるには、まむしの毒があり
Rom 3:14 彼らの口は、のろいと苦い言葉とで満ちている
Rom 3:15 彼らの足は、血を流すのに速く
Rom 3:16 彼らの道には、破壊と悲惨とがある
Rom 3:17 そして、彼らは平和の道を知らない
Rom 3:18 彼らの目の前には、神に対する恐れがない」。

Rom 3:19 さて、わたしたちが知っているように、すべて律法の言うところは、律法のもとにある者たちに対して語られている。それは、すべての口がふさがれ、全世界が神のさばきに服するためである。
Rom 3:20 なぜなら、律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられないからである律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。
Rom 3:21 しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された
Rom 3:22 それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない
Rom 3:23 すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており
Rom 3:24 彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。
Rom 3:25 神はこのキリストを立てて、その血による、信仰をもって受くべきあがないの供え物とされた。それは神の義を示すためであった。すなわち、今までに犯された罪を、神は忍耐をもって見のがしておられたが
Rom 3:26 それは、今の時に、神の義を示すためであった。こうして、神みずからが義となり、さらに、イエスを信じる者を義とされるのである。
Rom 3:27 すると、どこにわたしたちの誇があるのか。全くない。なんの法則によってか。行いの法則によってか。そうではなく、信仰の法則によってである
Rom 3:28 わたしたちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである
Rom 3:29 それとも、神はユダヤ人だけの神であろうか。また、異邦人の神であるのではないか。確かに、異邦人の神でもある。
Rom 3:30 まことに、神は唯一であって、割礼のある者を信仰によって義とし、また、無割礼の者をも信仰のゆえに義とされるのである
Rom 3:31 すると、信仰のゆえに、わたしたちは律法を無効にするのであるか。断じてそうではない。かえって、それによって律法を確立するのである。

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